この辺りの短絡的でうすっぺらい表層的な論理的のみの思考をする人間は危険*2と言わざるを得ない。世の中にロジカルシンキングなるものが出回っているが、聡明な読者諸兄姉のお気づきの通り、これだけでは、ほとんどの問題は解決しない。だから世の中の問題解決本がいくら出回っても、あまり何の進化も起きず、使えない、あるいはない方が良いぐらいのパワーポイントばかりがあふれることになる*3。
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実際には一つ一つの情報の重さや関係性、その複合的な意味合いを考え抜く必要があり、それらをしっかりと掴むためには、どうしても人が言う話ではなく、自分でファーストハンドの情報をつかむ必要がある。そう言う意味で、むしろ難しいのは、「自分なりに感じること」なのだが、このことの重要性について、いわゆる上記の問題解決本などはほとんど触れていないのではないかと思う*4。
「一次情報を死守せよ」というのは、私の大先輩であり、師匠の一人が私にかつて授けてくれた教えの一つだが、これは実に正しく、真実にたどり着くための道の入り口であり、出口でもある。
その時に、どこまで深みのある情報をつかむことが出来るのか、がその人のベースの力そのものであるのだが、これはその人の中の判断する尺度、Frame of reference、あるいは判断のメタフレームワークの充実度の問題であり、一朝一夕で身に付くものではない。知能や学歴は高いかもしれないが、こいつは馬鹿だ、と思う人間が妙にあふれているのはかなりがこの問題ではないかと、僕は考えている。
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脳は自分で(脳自身が)意味があると思うことしか認知できない。そしてその意味があるかどうかは、これまでそのような入力が意味があると言う場面にいくら遭遇してきたかによって決まる。この辺りは、わたしの認知に関する稿をコレまで読んできて頂いた人には良く分かって頂けるだろう。
例えば、有名な実験で、猫が生まれてから縦縞しかない空間で育てると、その猫は、横の線が見えなくなる。結果、例えば、四角いテーブルに載せると、そのかわいそうな猫はエッジが見えなく、落ちる。コレがものすごく簡単に、上の話を裏付ける奥深い話である。これは回路(Wiring)そのものの形成に影響が出たケースであるが、そもそも脳にとって特定の情報処理が出来るということは、特定の記憶が起きることに本質的に近く(知覚と記憶の稿を参照)、特定のことについての意識が起きるということは、その特定のことに関する情報処理(歴のある)回路がある程度活性化していることに近いことなので、まさにかなり近いことであると言える。よくある話で、日本に来て日本語を覚えてから急に「肩が凝る」ようになった外国人、というのも似た話だ。
同様に、例えば、ある商品の戦略作りであれば、単に市場への洞察や、競合視点での狙いどころだけでなく、もの作りの行程、調達のこと、生産工程、技術的な他力の活用、また、物流におけるDCの動き方、また販社の役割、などについてかなりの具体性を持ってイメージでき、そこである変化が起きたときに何がおこるのか、推定する力がなければ、到底正しい判断は出来ない。また実行に向けた解決に当たっては、歴史的な経緯、組織力学的なことへの理解は常に不可欠だ。(一方知りすぎていては「知恵」がでないのも事実であるが、このことに付いてはまた別途どこかでチャンスがあれば考察したい。)
またいちいちこれらを理解していくにはそれなりの年月が必要であり、問題に立ち向かってから調べるのでは到底間に合わないケースがほとんど。これは科学研究においても同じだ。どこまで現在分かっていること、あるいは最近の発見のその意味合い、課題を深く筋の良いコンテキストに沿って理解できるかが第一の勝負なのだから。